「メッキ工場経営から見える中国の環境規制の変遷」

 

急速に厳しくなっている環境規制。2011年から関わっているメッキ工場は、その煽りを大きく受けました。
5年の間に開業から閉鎖まで、規制が厳しくなっていくスピードを感じてもらえればと思い寄稿致しました。

管理が曖昧だった時期

2011年、メッキ団地内の一角を買い受け開業します。当時は環境規制が厳しくなるという話はあったものの、実際に監査などが入ることはありませんでした。
工場には、汚水漏れ対策がされていましたが不完全なものが多かったと思います。例えば、排水溝などには樹脂コートがしてあるものの、床はタイルが敷かれているだけ。対策されていない場所に水槽がある。などなど、挙げれば切りがなく、ほぼ無管理という状態だったと思います。私どもがいた工場団地もそうでしたし、外部委託したメッキ団地には、川に垂れ流しというところもありました。これが約6年前の多くのメッキ工場です。

曖昧さから厳格へ移行する時の弊害

2012年夏。突如行政区からメッキ団地閉鎖のお達しがでます。実は、このメッキ団地の許可証は、オーナーが別の場所で取得したものでした。新しい場所に移転して来た時には取得が難しくなっており、許可証を取らずに団地を開業していたのです。それがグレーにも通っていたと言う事だと思います。結果として、2013年3月に工場移転を余儀なくされます。

本格的に厳格化が始まる
新しく入った団地での約2年後、2014年夏。汚水の分水処理の指示が、メッキ団地管理会社から出されました。メッキ処理には、色々な薬剤が使われていますが、シアン系、クロム系、硝酸系、酸+一般排水と主に4種類があります。前3つの汚水は、相当に危険な薬物で気化ガスを吸い込んだだけで人体に大きな影響がでます。この分水処理の指示が出る前は、汚水の種別に関係なく団地の中央汚水処理施設に集められ処理されていました。それが4種類に分けて処理されることになりました。団地内のメッキ会社は、それまで分ける必要のない汚水を4種類に分けて排出する必要が出て来たわけです。言うは易し行うは難し、すでに設置した設備に新しく汚水処理配管をするなど、相当大変な思いを致しました。加えて汚水処理費が約2倍…。

さて、追い打ち。
2015年。今も空気汚染の代名詞になっているPM2.5ですが、原因の一つは石炭を原料にしている火力発電所と言われています。先日、その石炭火力発電を主産業にしていた太原市に行って来たのですが、大幅に石炭の使用が抑えられていました。新しい産業として、大手自動車メーカーの電気自動車専門工場が設立しているそうです。走っているタクシーは全て電気自動車。中国の変わる勢いには、本当に驚かされます。その石炭が2年前のメッキ団地にも影響を与えました。加熱用ボーイラーの原料が石炭だったからです。言わずもがなですね。PM2.5対策で加熱燃料が天然ガスへ、そして過熱蒸気費用が2倍になりました。

最後に。
2016年10月秋口。突如北京から環境監査官が視察に来ました。この時の視察は大規模で、上海市、江蘇省、浙江省を一気に回ったようです。この年の検査は、団地内をくまなく監査が入りました。ここでメッキ工場の閉鎖を余儀なくされました。主な作業が手作業で行われていたことが決定打になってしまいました。

その後も監査は厳しくなっており、17年に入っても、北京からの専属監査の他に、上海市からも、地区からも入ると言う年の入れようです。

いま振り返ればですが、環境規制が正に厳格化していく時期のメッキ工場運営でした。そして、本格的な規制が入った時に閉鎖することになったのです。現在は、そのメッキ会社は貿易機能だけを残し動いています。