平成が終わってしまう。考えてみれば、私は平成の半分以上は中国で暮らしていたわけで、途中平成何年か忘れてしまうような時期もあり、令和の時代になってそこそこ過ぎれば、平成時代は中国にいたなあ、なんて思うのだろうか。
さて、平成最後にどんなことを書こうかと悩んだが、一つほっこりするような深いい話しを書きたいと思う。ほっこりするかどうかは読者の受け取り方によるのだけれど。
3年前の夏、無錫で友人になった中国人女性と何年かぶりにばったりと会った。私は知らなかったのだが、彼女は日本人と結婚をして、日本に住んでいた。夏休みを利用して、小学生に入ったばかりのとても可愛い娘と一緒に無錫に来ていた。その娘さんは前の夫(中国人)の連れ子だそうだ。
びっくりしたことがあった。その子供の日本語が完璧なのだ。日本で暮らし始めて2年目とか言ってたと思うのだが、本当に日本人の子供と話しているようだった。そしてその娘がこういうのだ。
「私、中国語忘れた」
日本に行ってまだ1年ちょっと。中国語を忘れるわけがないのだが、あまりにも上手な日本語だったので、嘘でもないのかなと思った。後で事情を聞くと、友人は前の夫とはかなり苦労があったようで、それをその子供は見ていたようだ。そして前の夫と別れ、日本人と再婚をし、日本で暮らすことを伝えた時、子供はそれを受け入れ、現在の夫に気に入られなければいけない、自分が気に入ってもらえればお母さんも幸せになれると思ったようだと言う。もしかしたら前の夫と離婚したのは自分のせいかもしれないと娘さんは思っていたのかもしれない。そして日本に行ってから、日本語を一生懸命覚え、中国語を一切話さなくなったらしい。でもお母さん曰く、中国語を忘れるわけはなく、話している中国語は聞き取れているはずと言っていた。きっと娘さんは決死の覚悟で日本語を覚えたに違いない。日本語を覚えて新しいお父さんに気に入られようと必死だったのだろう。
翌日には無錫を離れ、親戚のいる東北の方に行くとのことで、娘さんは久しぶりに会う従姉妹のことを楽しみにしていた。
「従姉妹は日本語わかるのかい?」ちょっとからかってみた。
「わからない」
「じゃあ、どうするの?中国語思い出さなきゃ」
「中国語は忘れた」
その後、従姉妹と中国語で話したどうかまではわからないが、娘さんは今でも中国語は一切話さないと言う。
本当に健気な子供だ。現在は家族仲良く日本の田舎で暮らしている。
また会いたいな。
Supper Johnny